病院で働く父の影響を受け、看護師を目指し始めた
子どもの頃から、放射線技師である父について病院に出入りする機会が多く、父を待つ間、一緒に遊んでくれる優しい看護師さんに憧れを抱くようになりました。私はもともと健康に恵まれている方だったので、病気と闘う人を支えることで、世の中の役に立ちたいと考えたりもしました。そして自然に、将来は看護師になろうと思いました。長年医療現場で活躍してきた父が、誰よりも私の夢を応援してくれる存在になってくれて、とても心強かったことを覚えています。東京の看護学校に進学しましたが、看護師免許を取得した後は住み慣れた地元で働きたいと思い、この病院の小児科と腎・泌尿器科の混合病棟に就職しました。
やっぱり急性期の現場で看護がしたい
混合病棟で3年間働いた後、透析室に移動になりました。そこでも3~4年頑張りましたが、家事・育児と総合病院での仕事との両立はなかなか難しく、一旦退職しました。子どもが小さいうちは夜勤のないクリニックで働いていましたが、徐々に「このままでいいのかな?」と思い始めました。急性期の現場から離れることで、最新の医学的知識や技術についていけなくなることに、不安を感じました。「また急性期病院で働きたい!」という気持ちが日に日に大きくなり、当院への再就職を決心。初めの半年は臨時職員でしたが、その後正規職員になり、委員会の仕事も夜勤もすべて行うようになりました。しばらく病棟勤務から離れていましたがその分、自分の家庭生活や子育ての経験などを通して、広い視野を身に付けて復帰できました。患者さんやご家族の気持ちをより想像できるようになっただけではなく、一緒に働く仲間に対して、昔よりも感謝や思いやりの気持ちを持てるようになった気がします。
本人や家族の意向に沿うサポートを
ある患者さんの退院支援に関わっていた時のこと。もともと長く自宅療養されてきた方でしたが、食事や内服が難しい状態でした。医療者側は自宅療養が難しいので一旦転院を勧めましたが、本人も家族も自宅に帰ることを強く希望されました。「本人や家族が〝望む暮らし〟に近づけるために、自分たちにできることは何か?」-主治医、担当ケアマネージャー、訪問看護師たちと話し合いを重ねた結果、本人の調子が良い時間に食事と内服を行えるように、一日の過ごし方を組み立てることになりました。病院に居るとどうしても病院のペースに患者さんを合わすことを考えてしまいがちですが、退院を見据えて、なるべく自宅での生活リズムに近づけるような工夫をしたのです。そして家族に食べたいものを届けてもらうことで、「しっかり食べて、元気になって帰りたい!」という気持ちを引き出しました。最終的には念願かなって、その方は自宅に退院できました。看護師は医療的知識を持って日常生活を整える専門家ですが、それが一方的になってしまっては意味がありません。これからも、常に患者さんや家族の思いに寄り添いながら、多種職が連携し、意向に沿ったサポートを導き出せるような看護をしていきたいです。