就職氷河期、「何か手に職をつけよう」と看護専門学校へ

5階東 混合病棟  
看護師 三ツ谷佐知

母親が看護師だったのです。でも子どものころから一度も「看護師になりなさい」と言われたこともなく、私自身も看護師になろうとは思っていませんでした。でも高校3年生の秋になり進路を考えたとき看護師になろうと思ったのです。何しろ就職氷河期でしたから何か手に職をつけなければと思ったときに思い浮かんだのが看護師でした。そのとき母親がすごく喜びました。口には出しませんでしたが私が看護師になるのを望んでいたのですね。高校生活はすべて剣道に打ち込んでいました。インターハイに連続出場するような強豪校でしたから練習も上下関係も厳しい世界でした。つらいことはありましたがやめたいと思ったことは一度もありませんでした。今でも夢に見ますよ。忘れ物をして顧問にひどく怒られる夢とか(笑)。でもこの剣道経験がすごく仕事に役立っていると働き始めてから気がついたのです。


手術室からスタートして脳外・泌尿器、手術室、小児科……と広がった私のキャリア

看護学校を卒業して新卒で清水市(現静岡市)の総合病院へ。手術室に配属されて3年間そこで働きました。楽しかったですが4年目に地元に戻ることにして磐田市立総合病院に転職。転職時には「もう手術室に戻ることはないんだ」とさみしくなるくらい手術室の仕事は好きでした。転職後は脳外・泌尿器科の病棟に配属。4年間勤務ののち手術室に異動。かつての経験を活かすことができました。4年後に今度はまったく経験のない小児科に異動しそこで4年、その後NICUに6年、ICUに3年。そして今は腎臓内科・糖尿病・形成外科・血管外科の混合病棟です。看護師になって25年になりますが、いろんな経験を積んでいると思います。異動になってもどんな仕事も楽しくなります。厳しい環境で自分に少し負荷がかかるほど「よし、やってやる!」って燃えるのです。そして気づきました。「これって高校時代に苦しいなか剣道を経験したおかげだ」って。当時は厳しい監督や先輩の元で鍛えられました。いつも次に何をするか考える、時間には絶対に遅れない、忘れ物をしないように準備する、言われたことは必ず守る……これ、看護の仕事そのものですよね。新卒で手術室に配属されても対応できたのは剣道のおかげだったのです。経験に無駄はありません。


患者さまに寄り添うための、私だけの「魔法の言葉」

看護の仕事では患者さんやご家族に接するのが好きなんです。どうやったら患者さんの心に寄り添うことができるのかっていつも考えています。「寄り添う」って言葉、看護ではよく言われますけど、それはほんの少しの歩み寄りなのだと私は思っています。たとえば看護師が「大丈夫ですか?」と聞いたら患者さんはたいてい「大丈夫です」とお答えになります。でも患者さんは看護師に言いたくても遠慮して言えないことがあります。そこで私は「魔法の言葉」を使います。「私に何かお手伝いできることはありますか?」。この“私に”がポイントです。これを言うことで相手に「あぁこの人は私の味方なんだ」って負担なく感じてもらえます。すると「すみませんが棚にある〇〇を取ってもらえますか」「お医者さんには聞けなかったのですが質問して良いですか」とこれまで言えなかったことを言ってくれます。今年の7月から透析室の業務も引き受けることになりました。透析機器は初めて触るので勉強が必要ですが手術室勤務の経験があるので機械に対するアレルギーはありません。これまでの経験がすべて生きています。だからまたチャレンジができるのです。