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4階東病棟

看護師として働き始めて半年が経ちました。私たちが配属された4階東病棟は、脳神経外科・泌尿器科・婦人科の3つの診療科で構成されており、整形外科の患者さんも多く入院されています。そのため、外科系の周術期から化学療法といった内科的な治療まで、幅広く学ぶことができます。
配属当初は、多くの業務や技術を覚えることで精一杯で、看護師としてやっていけるのかという不安と緊張で胸がいっぱいでした。業務をこなすことに追われ、患者さんの気持ちに寄り添う余裕もなく、自分が思い描いていた看護とは程遠い日々だったと思います。
しかし、半年が経った今では、少しずつ患者さんとのコミュニケーションを大切にし、個別性を意識した看護ができるようになってきたと感じています。まだ知識や技術の不足を実感する毎日ですが、患者さんからいただく「ありがとう」の言葉が、大きな励みになっています。
これからも先輩方に相談し、支えていただきながら、一歩ずつ成長を重ね、理想とする看護師に近づいていけるよう努力していきたいと思います。

周産期母子医療センター

私たちは妊娠、出産、育児期のお母さん方、そして多くの新生児と関わらせていただいています。また地域周産期母子医療センターとして、ハイリスクの母体搬送を受け入れている点も産科病棟の大きな特徴です。新しい家族を迎え入れるご家族の喜びや不安に寄り添い、それぞれの希望や背景を踏まえた個別性のあるケアができるよう心がけています。
まだまだ未熟ですが、これからも母子や患者さんへ安心、安全なケアを提供していけるよう、日々努力していきます。


救命病棟

救命救急病棟 坂本千波 鈴木陸斗 廣瀬遥菜 杉本理子

救命病棟にはさまざまな診療科の患者さんが入院しており、様々な疾患に応じた観察ポイントを学ぶことができます。重症患者さんや重症化リスクの高い患者さんへの看護を通して、迅速な判断や幅広い視点を持つことの大切さを日々実感しています。
また、術直後の患者さんを受け入れる機会も多く、全身状態の管理や急性期の看護を実践的に身に付けることができます。

現在、新人4名はそれぞれ3人の患者さんを受け持ち、先輩看護師に相談しながら、小さな変化にも気付けるよう日々努力しています。勤務外でも疾患や治療法について学びを深め、確かな知識を持って患者さんに向き合うことを心掛けています。

今後も患者さんやご家族に安心と信頼を感じて頂ける存在を目指し、成長を続けていきます。


認知症看護は、患者さん一人ひとりの『らしさ』を引き出す、とても奥深い仕事

認知症看護認定看護師
河島智子

私が担当している認知症看護は、患者さん一人ひとりの『らしさ』を引き出す、とても奥深い仕事です。例えば、ある患者さんは、昔、ピアノを弾くのが好きだったと家族から聞きました。そのことをきっかけに、病棟でピアノの音色を流してみると、患者さんの表情がパッと明るくなるんです。そんな瞬間に出会うと、看護師として本当にやりがいを感じます。認知症の患者さんは、言葉で気持ちを伝えるのが難しい方も多いですが、表情や行動から、その方だけの世界が見えてきます。その世界に寄り添い共に歩んでいく、それが私の仕事です。いつか私も歳をとる…その時自分自身がどんな風に過ごしたいか、ということを考えながら、目の前の患者さんたちに向き合っています。


患者さんの意思を尊重し、一人ひとりに合わせた個別ケアが大切にしていきたい

認知症の患者さん一人ひとりは、全く異なる個性を持っています。同じ認知症でも、症状の出方や、性格は千差万別です。そのため、画一的なケアではなく、一人ひとりに合わせた個別ケアが大切だと考えています。例えば、ある患者さんは、集団行動が苦手で、一人静かに過ごしたいという方がいます。その方の気持ちを尊重し、一人だけの空間を用意したり、個別活動の時間を増やしたりするなど、その人が心地よく過ごせる環境を整えることが重要です。また、意思決定支援においては、患者さんの意思を尊重することはもちろん、家族や他の医療スタッフとの連携も欠かせません。多職種で連携することで、より良いケアを提供できると信じています。


『観察力』と『共感力』を活かし、家族の気持ちにも寄り添い、悩みを共有していきたい

認知症看護の仕事を通して、私は『観察力』と『共感力』を養ってきました。患者さんのちょっとした言動や表情の変化から、その人が何を考えているのかを読み解くことができるようになりました。また、認知症の患者さんだけでなく、ご家族の気持ちにも寄り添い、共に悩みを共有することも私の仕事です。患者さんやご家族と信頼関係を築くことで、より良いケアを提供できると信じています。この病院で働いて良かったことは、多くの経験を積むことができ、成長を実感できたことです。特に、認知症看護認定看護師の資格を取得できたことは、私にとって大きな自信になりました。これからも、患者さん一人ひとりの『らしさ』を大切にし、質の高い看護を提供していきたいと考えています。

本当に災害が起きた時に、自分の手で誰かの命を救える看護師を目指したい

看護師 山口飛龍

9年間、この病院で看護師として働いてきました。日々、患者さんと向き合い、その方の人生の一端を共に歩んでいると感じています。特に、災害看護は私にとって大きな目標です。東日本大震災のニュースをテレビで見て、無力感を感じたあの日から、もし自分が現場にいれば、もっと何かできたのではないか、という思いがずっと心の中にありました。日本DMATの資格を取得し、地域の防災訓練に参加するたびに、その思いが確信へと変わっていくのを実感しています。いつか、本当に災害が起きた時に、自分の手で誰かの命を救いたい。そのためにも、日々の研鑽を怠らず、地域に貢献できる看護師を目指していきます。


患者さんの声にじっくりと耳を傾け、身体的なケアだけでなく、心のケアも大切したい

看護の仕事は、単に患者さんの身体的なケアをするだけでなく、心のケアも大切だと考えています。例えば、末期がんの患者さんと話す時、残された時間をどう過ごしたいのか、どんなことを考えているのか、じっくりと耳を傾けるように心がけています。患者さんの言葉一つひとつに、その人の人生が詰まっていると感じます。この病院で働くようになって、先輩看護師の方々から多くのことを学びました。特に、患者さんとのコミュニケーションの大切さや、チームワークの重要性については、今でも忘れることはありません。この病院で出会えた人々、そして患者さんたちとの出会いが、今の私を形作っています。


地域住民と連携し、防災活動にも積極的に参加し、災害看護の分野をさらに深めたい

この病院は、働きやすい環境だけでなく、成長できる環境も整っています。例えば、専門分野の勉強会や、最新の医療機器に関する研修など、積極的に参加することができます。また、先輩看護師の方々が、いつでも相談に乗ってくれるので、安心して仕事に取り組めます。私は、今後災害看護の分野をさらに深めたいと考えています。そのためには、専門知識の習得はもちろんのこと、体力作りも大切だと考えています。また、地域住民の方々と連携し、防災意識を高める活動にも積極的に参加していきたいです。看護師としてのキャリアを積み重ねながら、地域社会に貢献できるよう、これからも努力を続けていきたいと思います。

個々の看護師が自分の目標に向かって成長できるよう、個別的な支援をしていきたい

教育研修室
副看護師長 森田洋一

一人ひとりの看護師が自分の目標に向かって成長していくためには、個別的な支援が必要です。単に資格を取得するだけでなく、その資格を活かして、患者さんに質の高いケアを提供できるよう、実務に繋がる研修を充実させています。例えば、新人の頃は基礎的な知識や技術の習得に力を入れますが、経験を積むにつれて、専門分野を深めるための研修や、チーム医療を円滑に進めるためのコミュニケーション研修など、様々な機会を提供しています。また、資格取得にかかる費用の一部を補助する制度もあり、経済的な負担を軽減しながら、安心して学ぶことができます。資格取得はゴールではなく、あくまでもスタート地点。資格を活かして、患者さんのために貢献したいという意欲を持った看護師を育成していくことが、私の目標です。


資格取得を目指す看護師の学びの場として最適な環境になるように努めていきたい

看護師のキャリアアップを支援するため、資格取得を積極的に応援していきます。当院では、資格取得に必要な費用の一部を補助する制度だけでなく、仕事と勉強の両立を支援するための勤務体制も整えています。例えば、資格試験の勉強のために、勤務時間を調整したり、休暇を取得したりすることも可能です。また、院内では、定期的に勉強会や研修会を開催しており、最新の医療情報や資格取得に関する情報を共有しています。先輩看護師も、資格取得の経験がある人が多く、相談しやすい環境です。資格取得を目指す看護師にとって、学びの場として最適な環境になるように努めていきたいと思っています。


わからないことがあればすぐに相談できる、指導を受けられる環境が自身の成長実感の源

この病院で働いて良かったと思うことは、成長できる環境が整っていることです。日々、新しい知識や技術に触れることができ、自分の成長を実感できます。また、先輩看護師や他の医療スタッフとの連携も密で、わからないことがあればすぐに相談できる環境が嬉しいです。特に、専門的な知識を持つ先輩看護師から直接指導を受けることができることは、とても貴重な経験となっています。入職当初は不安も多かったのですが、先輩方の温かいサポートのおかげで、今では自信を持って患者さんに接することができます。この病院で働いて、私は看護師としてのスキルアップはもちろん、人間としても大きく成長できたと感じています。

就職氷河期、「何か手に職をつけよう」と看護専門学校へ

5階東 混合病棟  
看護師 三ツ谷佐知

母親が看護師だったのです。でも子どものころから一度も「看護師になりなさい」と言われたこともなく、私自身も看護師になろうとは思っていませんでした。でも高校3年生の秋になり進路を考えたとき看護師になろうと思ったのです。何しろ就職氷河期でしたから何か手に職をつけなければと思ったときに思い浮かんだのが看護師でした。そのとき母親がすごく喜びました。口には出しませんでしたが私が看護師になるのを望んでいたのですね。高校生活はすべて剣道に打ち込んでいました。インターハイに連続出場するような強豪校でしたから練習も上下関係も厳しい世界でした。つらいことはありましたがやめたいと思ったことは一度もありませんでした。今でも夢に見ますよ。忘れ物をして顧問にひどく怒られる夢とか(笑)。でもこの剣道経験がすごく仕事に役立っていると働き始めてから気がついたのです。


手術室からスタートして脳外・泌尿器、手術室、小児科……と広がった私のキャリア

看護学校を卒業して新卒で清水市(現静岡市)の総合病院へ。手術室に配属されて3年間そこで働きました。楽しかったですが4年目に地元に戻ることにして磐田市立総合病院に転職。転職時には「もう手術室に戻ることはないんだ」とさみしくなるくらい手術室の仕事は好きでした。転職後は脳外・泌尿器科の病棟に配属。4年間勤務ののち手術室に異動。かつての経験を活かすことができました。4年後に今度はまったく経験のない小児科に異動しそこで4年、その後NICUに6年、ICUに3年。そして今は腎臓内科・糖尿病・形成外科・血管外科の混合病棟です。看護師になって25年になりますが、いろんな経験を積んでいると思います。異動になってもどんな仕事も楽しくなります。厳しい環境で自分に少し負荷がかかるほど「よし、やってやる!」って燃えるのです。そして気づきました。「これって高校時代に苦しいなか剣道を経験したおかげだ」って。当時は厳しい監督や先輩の元で鍛えられました。いつも次に何をするか考える、時間には絶対に遅れない、忘れ物をしないように準備する、言われたことは必ず守る……これ、看護の仕事そのものですよね。新卒で手術室に配属されても対応できたのは剣道のおかげだったのです。経験に無駄はありません。


患者さまに寄り添うための、私だけの「魔法の言葉」

看護の仕事では患者さんやご家族に接するのが好きなんです。どうやったら患者さんの心に寄り添うことができるのかっていつも考えています。「寄り添う」って言葉、看護ではよく言われますけど、それはほんの少しの歩み寄りなのだと私は思っています。たとえば看護師が「大丈夫ですか?」と聞いたら患者さんはたいてい「大丈夫です」とお答えになります。でも患者さんは看護師に言いたくても遠慮して言えないことがあります。そこで私は「魔法の言葉」を使います。「私に何かお手伝いできることはありますか?」。この“私に”がポイントです。これを言うことで相手に「あぁこの人は私の味方なんだ」って負担なく感じてもらえます。すると「すみませんが棚にある〇〇を取ってもらえますか」「お医者さんには聞けなかったのですが質問して良いですか」とこれまで言えなかったことを言ってくれます。今年の7月から透析室の業務も引き受けることになりました。透析機器は初めて触るので勉強が必要ですが手術室勤務の経験があるので機械に対するアレルギーはありません。これまでの経験がすべて生きています。だからまたチャレンジができるのです。

新人時代は失敗の連続、厳しくも温かく見守ってくれた上司たち

6階東 呼吸器病棟  
副看護師長 井熊衣里

小学生のときテレビで医療現場をカメラが追うドキュメンタリーを見ました。「うわぁ、こんな仕事があるんだ」と、看護師や医師などの職種はわからなかったけどその仕事ぶりが印象に残りました。そして高校では地元、磐田市の衛生看護科に進学。そのころに祖父が体調を崩して入院したのですが、お見舞いに行く先で看護師さんが実際に働く姿を目にしました。そして「そうだ、私がやりたかったのはやっぱりこの仕事なんだ」と確信したのです。高校を卒業後は京都の看護専門学校に進学しました。衛生看護科卒なので2年で看護学校を卒業し20歳で看護師になりました。新卒で働いたのは京都の総合病院。消化器外科に配属されました。私はあまり器用ではなかったので失敗ばかりしていました。その都度よく怒られました。本当に厳しい指導を受けましたが、いつも指導には一貫していたことがありました。それは「患者さんの立場で考えているかどうか」ということだったのです。厳しく叱られるのはいつもそれに反したときでした。そこで私は「看護のなんたるか」について身をもって知った気がします。当時の看護師長さん、主任さんは新人時代のあこがれでした。今でも感謝をしています。その病院の消化器外科で8年間、働きました。


30歳を前に地元、磐田市立総合病院に就職。呼吸器病棟へ。

30歳を前に地元に戻り、当病院に就職をしました。それまでの経験で終末期の看護に興味をもっていた私が配属されたのが呼吸器病棟でした。肺がん、肺炎などの疾患を治療するため患者さんは高齢者が多い部署です。また近くの工場に勤務する外国人労働者やその家族が多いこともこのエリアの特徴の一つです。人間にとって呼吸ができなくなるというのは、ものすごく恐怖です。治療としては酸素や薬剤の投与などをしますが、それでも精神的に患者さんは追いつめられることも多くナースコールを頻繁に押す患者さんもいます。死の不安に苛まれているのです。だから一人でいることが怖い、不安でしかたないのでしょう。そういった患者さんの心理に寄り添い、そばにいて背中をさすったり、手を握ったりします。忙しいなかその時間をつくるのもたいへんなのですが、そうして触れ合うことで恐怖心が薄れ入眠されることも多いのです。こんなことがありました。工場勤務をしている外国人の若い奥さんが入院されました。日本語はほとんどしゃべれません。でも呼吸が苦しく痛みを感じていることはわかります。私はできるだけ近くにいてその表情や発せられる言葉から彼女の状況を把握して看護に努めました。すると言葉は通じませんでしたが、安心して落ち着きを取り戻すことができました。患者さんに寄り添うには、恐れずに、患者さんから出されるサインをキャッチすることも必要なのだと思います。以前は病気を告知され落ち込んでいる患者さんに対して「今は私ができることなどないだろう」と距離を置いていましたが、今は私が話しかけることで本人がなにか自分の心を整理するきっかけになるかもしれないと考えて、こちらが勝手に判断せずにまずは声をかけてみるようにしています。


副師長になってからは「いかにスタッフの思いをサポートできるか」を心掛ける

2022年の4月から副看護師長になりました。スタッフはそれぞれがいろんな思いをもって働いています。私はその思いを大切にしてどうすればそれが実現できるかをサポートするようにしています。なかにはマンパワー面などで実現困難なこともあります。でも「無理だ」と言う前に「どうやったらできるのか」を考えます。「努力は必ず報われる」。看護師になってからずっとそう思ってきましたし、今もそう思っています。