未熟さにジレンマを感じながらも、患者さん、先輩・同期に支えられて感じる看護の喜び

私が看護師になろうと思ったきっかけは、小学生の頃、兄が入院した際の両親の姿でした。患者家族の大変さを間近で見ていた私は、患者はもとより家族に対してもケアができる看護師になりたいと思うようになりました。高校進学と同時に看護を学ぶことになりました。患者さんとたくさん話して、役に立ちたいと思い描いていましたが、新人看護師の頃は覚えなければならない業務をこなすのに精一杯で、しっかりと患者さんの話を聴きたいと思っていても、なかなかその状態に至らず、未熟さにジレンマを感じていました。その後、外科から救命救急に異動しても、「まだまだだなあ」を感じながら働いていました。しかし、看護師の仕事を辞めたいと思ったことはなく、患者さんの笑顔や「ありがとう」という言葉、先輩や同期の仲間たちに支えられ、やりがいを少しずつでも感じながら仕事に取り組んでいました。患者さんとしっかりとコミュニケーションを取り、家族を支える先輩を見て、勇気づけられてきました。育休期を終え、呼吸器内科で看護をしていますが、患者さんと以前よりはしっかり話せるようになり、看護の喜びを一層感じるようになりました。


常にアンテナを張り、相手の立場に立って考え、適切な看護ができるように創意工夫を重ねたい

私が看護をする上で大切にしていることは、患者さんの気持ちに寄り添うということです。具体的には、相手の気持ちを知る、相手の立場に立って考えるということを意識しています。例えば、あまり話されないコミュニケーションを取るのが難しい患者さんがいます。そんな場合でも、状況に応じて、こんなことを感じているのではないかと仮説を立てて、こちらからそれを言葉にして問いかけてみるといった工夫をしています。また、患者さんが話したいというタイミングを注意し、逃さないようにしています。医師が患者さんに説明する時、体調が悪くなった時、言葉数が激減した時などです。正解はありませんが、常にアンテナを張り、適切な看護ができるように創意工夫を心掛けています。終末期の患者さんの自宅に帰りたいという要望があり、最近は訪問看護師と情報共有をする機会が増えて来ました。自宅に帰るにはタイミングがとても大事だと思います。タイミングを逃すと病院でお亡くなりなることになります。限られた時間の中で自分にできること考えて看護をしていくことにその深みを感じ、新たなやりがいを見出しています。家族の協力、訪問看護師との連携、この仕事にはまだまだ私の知らない魅力がたくさんあるように感じています。


人生の最期を迎える患者さんのどんな力になれるのか、若い人たちと考えていきたい

これから私がチャレンジしていきたいことは、臨床指導者の資格を取得したことも活かして、これまで私が経験してきたことや学んできたこと、終末期の看護の魅力などを新人看護師や実習生に伝えて行き、少しでも次世代の看護師育成に役立ちたいと思っています。私にとっても、看護に対する考え方に対して視野を拡げ、様々な視点を持つチャンスだと考えています。私たちの指導方法いかんによっては、新人看護師も実習生も緊張のあまり委縮させてしまいます。特に実習生の指導は外部の人たちなので、緊張しないように配慮し、できる限りのことを学び、経験し、気づきの多い機会にしてあげたいと考えています。そのためには、一緒に働くスタッフともそういう配慮を共有し、声掛けをお願いしています。コロナ禍で家族とも会えない終末期の患者さんの気持ち、支える家族のジレンマなど私たち看護師に何ができるのか、人生の最期をいかにその人らしく過ごしてもらえるように力になれるのか、そんなことを若い人たちと一緒に考えていきたいと思います。